朝ドラ『マッサン』モデル竹鶴夫妻の真実!ドラマ未公開の血涙史
朝ドラ マッサン の モデルとなった人物、竹鶴政孝とそのスコットランド人妻リタの足跡は、日本の洋酒史において今なお鮮烈な光を放ち続けている。日本放送協会(NHK)が放送した連続テレビ小説『マッサン』は、国境と文化の壁を乗り越えて本物のウイスキー造りに魂を捧げた夫婦の愛と情熱を描き、日本中に一大ブームを巻き起こした。しかし、ブラウン管の向こうに映し出された情緒豊かな物語の裏側には、フィクションの枠には到底収まりきらない過酷な現実と、血のにじむような苦闘の歴史が横たわっていた。
単身スコットランドへ渡り、門外不出とされたウイスキー製造の技術をノートに書き留めて帰国した一人の青年。世界的な品評会で最高賞を総なめにする現代のジャパニーズ・ウイスキーの隆盛を見渡すとき、改めて朝ドラ マッサン の モデルである竹鶴夫妻が切り拓いた道筋の険しさに驚かされる。そこには、異国人に対する冷徹な視線、太平洋戦争下の過酷なスパイ疑惑、そして破滅寸前まで追い詰められた創業時の生々しい試練が存在した。
異国の地で芽生えた情熱—竹鶴政孝とリタが歩んだ国際結婚の過酷な現実
1918年、摂津酒造の命を受けて単身スコットランドのグラスゴー大学へ留学した竹鶴政孝は、そこで運命の女性ジェシー・ロベルタ・カウン(通称リタ)と出会う。第一次世界大戦で婚約者を亡くし深い悲しみに暮れていたリタと、遠い東洋の地から本物のウイスキー造りを夢見てやってきた情熱あふれる政孝。二人が惹かれ合うのに時間はかからなかったが、当時の時代背景において国際結婚へのハードルは途方もなく高かった。
リタの親族は猛反発し、政孝の実家である広島の造り酒屋も激しく動揺した。それでも二人は1920年に現地の登記所で簡素な結婚誓約を交わし、手を取り合って日本へ渡る道を選ぶ。大正末期の日本において、青い目と金髪を持つ外国人女性が暮らす日常は、好奇と偏見の連続だった。言葉も通じず、食文化も生活様式もまるで異なる環境のなか、リタは着物をまとい、大阪弁を覚え、夫の夢を支えるために自らを日本の風土へと同化させていった。
サントリーから独立へ—鳥井信治郎との決別とニッカウヰスキー誕生秘話
帰国後、不況により摂津酒造でのウイスキー製造計画が頓挫した政孝に救いの手を差し伸べたのが、寿屋(現・サントリーホールディングス)の創業者である鳥井信治郎だった。鳥井は政孝のウイスキーに対する深い造詣を高く買い、現在のサントリー山崎蒸溜所の初代工場長として招聘する。二人は日本初の本格ウイスキー造りに乗り出したが、やがて哲学の相違が表面化していった。
「日本人の舌に合う、飲みやすいブレンドを追求すべきだ」と考える鳥井に対し、政孝は「本場スコットランドの重厚でスモーキーなピート香こそが本物である」と譲らなかった。妥協なき職人魂を貫く政孝は、10年の契約満了を機に寿屋を去る。彼が目指したのは、スコットランドのハイランド地方に酷似した冷涼な気候と清冽な水、豊かなピート(泥炭)が存在する北の大地、北海道・余市だった。
ドラマでは描かれなかったニッカウヰスキー創業の知られざる苦難と史実検証
1934年、余市の地に「大日本果汁株式会社」(のちのニッカウヰスキー)が設立された。ウイスキーは蒸留してから樽の中で数年間熟成させなければ出荷できず、その間は一円の利益も生み出さない。糊口をしのぐため、地元特産のリンゴを使った果汁100%ジュースの製造販売からスタートしたが、ここからが本当の地獄の始まりだった。
当時の技術では混じり気のない天然果汁はすぐに濁りや沈殿が生じ、容器の中で再発酵して王冠が吹き飛ぶ事故が相次いだ。返品の山と膨れ上がる赤字、出資者からの厳しい追及。政孝は品質に妥協できず、赤字を垂れ流しながらも徹底的な品質管理にこだわったが、資金繰りは常に破綻の危機に瀕していた。
さらに夫妻を追い詰めたのが、第二次世界大戦の勃発である。最新の史実検証や書簡の調査によって、当時のリタが置かれていた過酷な境遇がより鮮明になっている。英国出身であるリタは「特高警察(特別高等警察)」から執拗な監視対象とされ、自宅のラジオは敵国放送を傍受できる短波受信機ではないかと疑われて没収された。近隣住民からは「スパイ」と根も葉もない噂を立てられ、余市の海岸を散歩するだけで憲兵に尾行される日々が続いた。
心労からリタは体調を崩しがちになりながらも、決して夫の足を引っ張るまいと気丈に振る舞い続けた。政孝もまた、特高警察の理不尽な家宅捜索や尋問に対し、「妻は日本に骨を埋める覚悟で来た一人の人間だ」と怒りを露わにして立ち塞がり、命がけで彼女を守り抜いた。ドラマの美しい演出の裏側には、国家権力と戦争の狂気に怯えながらも愛を貫いた、壮絶な戦時下の真実があった。
北の大地が生んだ奇跡—余市蒸溜所の冷涼な風と伝統の石炭直火蒸溜
あらゆる苦難を耐え忍び、1940年、ついに第一号となる「ニッカウヰスキー」が出荷される。戦時体制下で洋酒は軍の指定品となり、余市蒸溜所は海軍監督工場に指定されたことで原料の大麦が優先供給され、皮肉にも会社は息を吹き返すこととなった。
政孝が余市にこだわり抜いた理由は、現在も稼働を続ける「石炭直火蒸溜」の設備に見ることができる。熟練の職人がスコップで石炭をくべ、火力をミリ単位で調整しながら蒸留器を熱するこの手法は、本場スコットランドですら効率化のために姿を消しつつある伝統技法だ。適度な焦げ付きがウイスキーに力強いコクと香ばしさを与え、余市特有の重厚なシングルモルトを完成させた。北の冷気と職人の熱気、そしてリタが注ぎ続けた愛情が、世界を驚かせる琥珀色の原液を育んだのである。
玉山鉄二とシャーロットが挑んだ名演—伝記ドラマの金字塔とNHKオンデマンドでの再評価
この重厚な史実をベースに制作された連続テレビ小説『マッサン』は、日本の朝ドラ史上初となる外国人ヒロインの起用という大胆な挑戦で話題を呼んだ。政孝をモデルにした亀山政春を演じた玉山鉄二は、愚直なまでに理想を追い求める無骨な男の情熱と苦悩を鬼気迫る演技で体現した。
一方、リタをモデルにした亀山エリーを演じたシャーロット・ケイト・フォックスは、日本語が全く話せない状態から単身来日し、過酷な撮影スケジュールを乗り越えて劇中のエリーと完璧にシンクロしてみせた。文化の差異に涙しながらも夫の夢を無条件で信じる彼女の姿は、多くの視聴者の胸を打った。名作伝記ドラマとしての完成度の高さから、現在もNHKオンデマンドなどを通じて国内外の新たなファンを惹きつけ続けている。
世界を席巻するジャパニーズ・ウイスキーの現在地と「ウイスキーの父」の遺産
今日、ジャパニーズ・ウイスキーは世界的な酒類コンペティションで数々の最高賞を獲得し、世界五大ウイスキーの一角として確固たる地位を築いている。オークションではヴィンテージボトルが数千万円単位で取引されるほどの過熱ぶりを見せているが、この世界的評価の源流にあるのは、他ならぬ竹鶴政孝の「本物しか造らない」という頑ななまでの信念である。
1961年、リタは64歳で静かに息を引き取った。政孝は妻の死後、余市の小高い丘にリタの墓を建て、自らも1979年にその隣へと眠りについた。スコットランドの風を日本の北の大地へと移植し、時代に翻弄されながらも黄金の滴を滴らせ続けた二人の物語。彼らが紡いだ本物のウイスキーは、グラスを傾けるすべての人々の喉を潤しながら、時代を超えて未来へと受け継がれていく。 (出典: 朝ドラ マッサン の モデル(Yahoo!ニュース))