伝説のディスコ・ジュリアナ東京跡地の今!熱狂の記憶と衝撃の現在
ジュリアナ 東京 跡地を訪れると、かつてこの場所が日本中を熱狂の渦に巻き込んだ震源地だったとは信じがたいほどの静寂が広がっている。運河沿いに潮風が吹き抜ける湾岸エリア。耳を澄ませても、空気を震わせた重低音のビートや耳をつんざく歓声はもう聞こえない。あるのは、規則正しく行き交う大型車と、近代的なビルへ足早に吸い込まれていくオフィスワーカーの足音だけだ。
整然としたオフィス街とタワーマンション群が広がる現在、ジュリアナ 東京 跡地の前にわざわざ足を止め、建物を感慨深げに見上げる通行人はほとんどいない。しかし、1990年代初頭の日本社会に鮮烈な傷跡と眩い記憶を残したあの巨大なエネルギーは、今なお都市の記憶の底に確かに息づいている。
伝説のディスコ「ジュリアナ東京」跡地は現在どうなっているのか?現地最新ルポ
まばゆい照明と過激なファッションが夜な夜な交錯した「ジュリアナ東京」。その現場は現在、複合商業ビル「芝浦ポートボウル」として稼働を続けている。倉庫街特有の無骨な骨組みを残した外観は、当時の面影をどこか留めているものの、かつてメインフロアとして数千人を収容した巨大空間は、オフィスや物流・イベント関連スペースへと完全に改装された。
ビル内へ足を踏み入れると、レーザー光線が交差していた天井の高さや、剥き出しの鉄骨構造にかすかな名残を感じ取ることができる。だが、フロアを支配しているのは整然とした日常の空気だ。夜になれば数百台のタクシーが列をなし、ボディコン姿の女性たちが押し寄せたエントランス周辺も、今では品川・田町方面へ向かうビジネスパーソンが通り過ぎるだけの通路となった。湾岸部の急速な変貌の中で、建物そのものは解体を免れつつも、内部の熱狂は完全に現代の都市機能へと上書きされている。
狂乱を仕掛けた男たちと「ジュリアナ・テクノ」旋風の正体
ジュリアナ東京は単なる一過性のブームではなかった。それは計算し尽くされた巨大ビジネスプロジェクトだった。仕掛け人となったのは、後にグッドウィル・グループを率いることになる若き日の折口雅博だ。総合商社の日商岩井(現・双日)とイギリスのレジャー大手ウェンブリー社がタッグを組み、総工費数十億円を投じて1991年5月にオープンさせた。
音楽面でフロアを支配したのが、レジデントDJを務めたジョン・ロビンソン (DJ)である。彼が放つ「Tokyo, Go!」のシャウトとともに爆音でプレイされた高速ビートのダンスミュージックは、「ジュリアナ・テクノ」と呼ばれ社会現象となった。その過激なサウンドをいち早くパッケージ化して大ヒットを連発したのが、創業間もないエイベックス (avex trax)だ。コンピレーションアルバムは驚異的なセールスを記録し、レコード会社としての同社の基盤を揺るぎないものにした。商社、起業家、新興レーベルの野心が芝浦の倉庫で融合し、巨大なポップカルチャー産業へと結実した瞬間だった。
お立ち台の女王「荒木師匠」と日本を席巻したバブル景気・バブル文化
ジュリアナ東京を語る上で欠かせない象徴が、通称「お立ち台」と、そこで舞い踊った女性たちだ。その頂点に君臨したのが、荒木久美子(荒木師匠)である。鮮やかな原色のボディコンドレスを身にまとい、巨大な羽根扇子(ジュリ扇)を振りかざして踊る姿は、連日のようにテレビや雑誌で報じられた。
興味深いのは、ジュリアナ東京がオープンした1991年は、すでに不動産や株式の暴落が始まり、経済的なバブル崩壊が始まっていた時期だったという点だ。しかし、世間の空気感は依然として好景気の余熱の中にあった。人々は失われゆく豊かさへの不安を振り払うかのように、芝浦のフロアへと群がった。ジュリアナが体現した狂乱は、実体経済のバブルというよりも、80年代後半から続いたバブル景気・バブル文化が放った最後の、そして最も強烈な閃光だったといえる。
東京都港区芝浦の劇的変貌と「ポートストア芝浦店」に残る空気感
かつて「陸の孤島」と揶揄された東京都港区芝浦エリアは、いまや都内有数のプレミアムなウォーターフロントへと変貌を遂げた。運河沿いにはハイグレードなタワーマンションがそびえ立ち、芝浦ふ頭周辺もスマートな都市景観へと整えられている。
その中にあって、今も独特の存在感を放っているのが「ポートストア芝浦店」だ。東京港湾福利厚生協会が運営するこの売店は、当時から夜遊びに繰り出す若者やタクシードライバーの給水所として機能していた。洗練された現代のコンビニとは一線を画す実用本位の店構えは、倉庫と港湾労働者の街だった芝浦のルーツを無言で物語る。ハイテクビル群と昔ながらの港湾施設が混在するこのエリアのコントラストこそが、ジュリアナを生み出した土壌の奥行きを感じさせる。
日本のナイトクラブ産業に刻んだ光と影、そして突然の終焉
ジュリアナ東京が日本のナイトクラブ産業に与えた影響は計り知れない。巨大なスペースに圧倒的な音響と照明を注ぎ込み、一般の大衆を巻き込むエンターテインメントへと昇華させた手法は、その後の大型クラブ運営の原型となった。
だが、その急激な過熱ぶりは同時に影を落とした。肌の露出度を競い合う過激なファッションはメディアの格好の標的となり、風紀の乱れを問題視した警察の指導が強化される。1993年秋には象徴だったお立ち台が撤去され、クラブ本来のアンダーグラウンドな魅力と大衆性のバランスは急速に崩壊していった。そして1994年8月31日、惜しまれつつも営業を終了。わずか3年3カ月という短い航海だったが、日本の夜の経済とカルチャーの構造を根底から作り変えてしまった。
湾岸再開発の波が飲み込む「狂乱の記憶」とその遺産
田町駅東口から芝浦ふ頭にかけてのエリアは、現在も大規模な都市再生プロジェクトが継続して進行している。かつてジュリアナ東京を包み込んでいたアンダーグラウンドな熱気や退廃的な匂いは、徹底した区画整理とクリーンな都市設計の中に完全に溶け去った。
それでもなお、あの時代が放った強烈なエネルギーは、今もクリエイターや音楽シーンにインスピレーションを与え続けている。何もない倉庫街から社会を揺るがすムーブメントを生み出した芝浦のダイナミズム。平日の昼下がり、整然と整備された跡地の前を歩くとき、無機質なアスファルトの下から、あの日日本中を狂わせた規格外のベースラインが微かに響いてくるような錯覚を覚える。 (出典: ジュリアナ 東京 跡地(Yahoo!ニュース))