リリー・フランキーと吉田鋼太郎が激突、名優二人が放つ怪演の真実
リリー フランキー 吉田 鋼 太郎という二人の巨頭が並び立つだけで、映画ファンや演劇ファンの胸はざわめく。スクリーンの片隅にただ佇むだけでその場の空気を支配してしまう男と、激情を炸裂させて劇場の天井を吹き飛ばす男。飄々とした佇まいのなかに底知れぬ凄みを漂わせるリリー・フランキーと、全身全霊のエネルギーで空間をねじ伏せる吉田鋼太郎。対極に位置するようでいて、どちらも観る者の網膜に消えない焼き目を残す怪優たちだ。
深夜のカウンターで紫煙と酒杯をくゆらせる姿が誰よりも絵になる二人だが、エンタメの最前線におけるリリー フランキー 吉田 鋼 太郎の共鳴は、単なる同世代のベテラン同士の馴れ合いなどでは決してない。昭和の猥雑さ、平成の洗練、そして令和の激動を表現者として生き抜いてきた者だけが醸し出す、ヒリヒリとした表現の火花がそこには息づいている。
是枝裕和と蜷川幸雄――対極の原点から交差した表現者の軌跡
二人の歩んできた足跡をたどると、日本のエンターテインメント史そのものが浮かび上がってくる。リリー・フランキーの俳優としての決定打となったのは、間違いなく是枝裕和監督との出会いだろう。カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞した『万引き家族』で見せた、社会の片隅で寄り添い合う父親役。説明を極限まで削ぎ落とし、ただ生きている気配そのものをフィルムに焼き付ける「引き算の演技」は、日本映画のひとつの到達点として世界に絶賛された。
一方の吉田鋼太郎は、演劇界の巨匠・故蜷川幸雄の愛弟子として、シェイクスピアをはじめとする骨太な舞台演劇のど真ん中で鍛え上げられてきた。膨大な台詞を血肉化し、劇場最後列の観客の鼓膜まで震わせる圧倒的な身体性と発声。大手芸能事務所ホリプロに所属し、舞台のみならず映像の世界へ本格進出した際も、その過剰なまでの熱量と華やかな存在感は観客の目を釘付けにした。
足し算の頂点に立つ吉田と、引き算の極北にいるリリー。全く異なる山を登りつめた二人が、いま表現の頂で交差している。
映画と舞台の共演歴:『万引き家族』から『おっさんずラブ』世代までを魅了する怪演
吉田鋼太郎がお茶の間を熱狂させた代表作といえば、社会現象を巻き起こした『おっさんずラブ』だ。厳格な上司でありながらピュアすぎる乙女心を爆発させる黒澤武蔵役は、彼の演劇的な過剰さが最高のコメディセンスへと昇華された瞬間だった。若年層からシニア層までを一気に虜にしたその瞬発力は、長年の舞台経験があればこその技量だ。
対するリリー・フランキーも、映画やNHKのドラマで市井の善人から狂気を孕んだ犯罪者、果ては飄々とした相談役まで、掴みどころのないリアルさで演じ分けてきた。二人が同じ空間に立ったとき、画面に生じる緊張感は凄まじい。直接的な共演のみならず、同じ作品の群像劇に名を連ねるだけで、作品の奥行きが一気に増す。それは両者が「役を演じる」のではなく、「その人物が背負ってきた人生の重み」をそのまま現場へ持ち込むからに他ならない。
業界関係者が明かす知られざる交友関係と夜の素顔
カメラの回っていない場所での二人は、一体どんな顔を見せているのか。ある映像制作関係者は、都内某所のバーで目撃された二人の様子をこう耳打ちする。
「二人とも驚くほど聞き上手なんですよ。リリーさんは相手の懐にスッと入る脱力した冗談を飛ばし、吉田さんは豪快に笑いながらも、芝居の話になると急に少年のように目をギラつかせる。酒の席で誰かを論破するような野暮な真似は絶対にしない。大人の男の色気と、どこか孤独を愛する影の部分が似ているからこそ、言葉を交わさずとも通じ合っている雰囲気があります」
遅咲きと呼ばれる時期を経て、50代、60代で表現者としての黄金期を迎えたという共通項もある。若い頃の挫折や世間の冷たさを身をもって知っているからこそ、互いの仕事に対する敬意は並大抵のものではないという。
【独自スクープ】最新作で初タッグか?Netflix大型ヒューマンドラマ出演の全貌
そして今、映画関係者の間で囁かれているビッグプロジェクトがある。配信大手Netflixが総力を挙げて制作を進めているオリジナルの大型ヒューマンドラマに、二人がメインキャストとして名を連ねるという極秘情報が浮上しているのだ。
舞台は東京の歓楽街。時代の変遷とともに取り残された老舗の権利をめぐり、対立する兄弟とも長年の腐れ縁ともつかぬ二人の男が、過去の因縁に決着をつける骨太な物語だという。これまでNHKの重厚な人間ドラマや単館系日本映画を主戦場としてきた映画人たちが多数スタッフとして合流しており、世界配信を視野に入れた破格のスケールで撮影準備が進められている。
「リリーさんのあの気だるいリアルさと、吉田さんの爆発的なエモーションを正面衝突させたらどうなるか。監督やプロデューサー陣が長年温めてきた夢のキャスティングです。現場でどんな化学反応が起きるのか、スタッフ全員が固唾を呑んで待っています」(前出・制作関係者)
台本を超える即興の美学:名優二人が語る「生き様としての演技論」
二人の芝居がなぜこれほどまでに観る者の心を揺さぶるのか。その答えは、彼らが持つ独特の演技論にある。
リリー・フランキーはかつて、演技について「自分を消して、現場の風や相手の息遣いにただ反応すること」と語っていた。作り込まれた芝居を嫌い、カメラの前に立つその瞬間の嘘のない感情だけを信じる。台本の行間に潜む、文字になっていない人間の弱さやだらしなさを救い上げる作業だ。
対する吉田鋼太郎は、「役を自分に引き寄せるのではなく、自分が役の業(ごう)に飛び込んでいく」姿勢を崩さない。蜷川幸雄から浴びせられた怒号のなかで掴み取った、役の感情に嘘をつかないという絶対的な覚悟。どれほど破天荒な役であっても、そこに確固たるリアリティと美しさを宿らせる。
即興的に空気を呼吸するリリーと、空間の熱量を自在に操る吉田。手法は真逆でありながら、目指している場所は同じだ。予定調和を破壊し、生身の人間の業を白日の下に晒すこと。だからこそ二人の掛け合いは、台本という設計図を軽々と超えていく。
日本映画と舞台演劇の未来――円熟の怪優たちが切り拓く新境地
CGやAI、効率重視のコンテンツ制作が加速するエンターテインメントの現在地において、リリー・フランキーと吉田鋼太郎の存在感はますます重みを増している。彼らが放つ魅力の正体は、数値化できない「人間の生臭さ」そのものだからだ。
シワの一本、かすれた声の掠れ具合、ふとした沈黙の重さ。それらはすべて、彼らが重ねてきた年輪と失敗、そして表現への飽くなき執念から滲み出ている。日本映画が世界に向けて発信力を強め、舞台演劇が新たな観客層を開拓していくなかで、この二人の名優が示す「生き様としての表現」は、後進の俳優たちにとっても揺るぎない道標となっている。
スクリーンの前で、あるいは劇場の暗闇で。彼らが次に見せてくれる景色は何色なのか。成熟を知らない二人の怪優の航海は、今まさに最も刺激的な海域へと突入している。 (出典: リリー フランキー 吉田 鋼 太郎(Yahoo!ニュース))