平泉成の若い頃は超絶美男子!名脇役が生んだ奇跡の軌跡と美声秘話
平泉 成 若い 頃の姿を初めて目にした現代の映画ファンは、誰もが一瞬言葉を失う。渋みのある独特のハスキーボイスと人情味あふれる笑顔で親しまれる名バイプレイヤーだが、半世紀以上前の銀幕に刻まれたその顔立ちは、息をのむほど端正な「正統派二枚目スター」そのものだったからだ。
映画初主演を飾った『明日を綴る写真館』の記憶も新しいなか、ストリーミングサービスの普及によって平泉 成 若い 頃の出演作がデジタルリマスターで再評価され、昭和の映画黄金期を知らない世代からも驚きと称賛の声が止まらない。一体どのようにしてあの類まれな美男子は、日本屈指の個性派俳優へと変貌を遂げたのか。
大映第4期ニューフェイス時代!「衝撃の正統派美男子」と騒がれた原点
愛知県岡崎市の農家に生まれた平泉成(本名・平泉征七郎)の俳優人生は、映画のワンシーンのように劇的な偶然から始まった。高校卒業後、単身京都へ渡り、名門「京都ホテル」でベルボーイとして働いていた10代後半の彼に、運命の光が差し込む。
ロビーを行き交う映画関係者たちの間で、彫りの深い顔立ちと爽やかな立ち姿を誇る美少年はすぐに噂となった。1964年、大映株式会社の第4期「ニューフェイス」に選出されると、同期や周囲のスタッフを圧倒する端正なルックスで頭角を現す。当時の宣材写真を見れば、涼やかな目元と通った鼻筋、精悍な顎のラインが際立ち、アラン・ドロンを彷彿とさせる気品を漂わせていた。まさに次代を担うスター候補生としての華々しい船出だった。
市川雷蔵との運命の出会いと銀幕デビュー作『酔いどれ博士』
京都撮影所で下積みを始めた平泉の才能をいち早く見抜いたのが、大映の看板スターであった市川雷蔵だった。立ち居振る舞いから演技の初歩に至るまで、雷蔵の厳しい指導と温かい薫陶を受けた経験が、平泉の役者魂に火をつける。
1966年、雷蔵主演の映画『酔いどれ博士』で本格的な銀幕デビューを果たす。スクリーンに映し出された若き平泉は、フレッシュなエネルギーと繊細な美しさを放ち、日本映画界の次世代ホープとして確固たる一歩を刻んだ。時代劇のセットが立ち並ぶ太秦で、殺陣の稽古や所作の習得に明け暮れた日々が、後の変幻自在な演技力の強固な土台となったのである。
美声から唯一無二のハスキーボイスへ!声変わりを巡る壮絶な舞台裏
平泉成の代名詞といえば、一度聴いたら忘れられない、あのしゃがれたハスキーボイスだ。しかし、若い頃の音声テープを聴くと、誰もがそのギャップに驚かされる。デビュー当時の彼は、透き通るような甘い美声の持ち主だった。
転機となったのは、20代半ばの苦闘である。「二枚目の枠に収まっていては生き残れない」という強烈な危機感と、より骨太で泥臭い役柄を演じ切りたいという執念から、自らの声を極限まで追い込む決断を下す。毎晩のようにウイスキーで喉を焼き、枕に顔を押し当てて大声で叫び続けるなど、過酷な発声改造を自らに課した。声帯をあえて潰すことで手に入れた唯一無二のしゃがれ声は、役者としての覚悟が生んだ勲章だったのだ。
東宝への移籍から『火曜サスペンス劇場』へ!刑事ドラマで開花した怪演
1971年の大映倒産という荒波を乗り越え、平泉は東宝へと活動の拠点を移す。映画界全体の構造変化に直面しながらも、テレビドラマという新たな主戦場へ果敢に飛び込んでいった。
1970年代から80年代にかけて、時代劇の悪徳商人や浪人役、さらには『火曜サスペンス劇場』をはじめとする刑事ドラマで、底知れぬ凄みを持つ悪役や粘り強い刑事を熱演。かつての二枚目の面影をあえて打ち消すかのようなアクの強い怪演は、プロデューサーや監督たちを唸らせた。甘いマスクを捨て去り、人間の業や哀愁を泥臭く表現できるバイプレイヤーへと進化した瞬間だった。
U-NEXTやNetflixで観る!若い頃の傑作アーカイブと現在の魅力
いま、名優・平泉成の原点に触れるカルチャー体験が静かなブームとなっている。U-NEXTやNetflix、Amazonプライム・ビデオといった主要な配信サービスでは、大映時代のクラシック作品から昭和を彩った名作ドラマまでが続々とラインナップされている。
スマートフォンの画面越しに蘇る瑞々しい美男子時代の姿と、円熟味を極めた現在の重厚な芝居。そのふたつをシームレスに行き来することで、ひとりの俳優が半世紀以上かけて削り出し、磨き上げてきた表現の深淵が浮かび上がる。美貌に甘んじることなく己の肉体を改造し、時代とともに変化し続けた平泉成の軌跡は、今なお多くの表現者や映画ファンを魅了してやまない。 (出典: 平泉 成 若い 頃(Yahoo!ニュース))