最終回で放った肉声の衝撃!ノッポさんが遺した無言の哲学と制作秘話
できるかな のっぽ さんの姿が画面に現れるだけで、あの軽快なリズミカルなピアノと、ハサミが画用紙を切り裂く小気味よい音が鮮明に蘇る。言葉を一切発さず、身振り手振りとパントマイムだけで森羅万象を工作へと変えていった背の高い男。日本放送協会(NHK)が誇る伝説的番組の主役は、半世紀近い歳月を経た今振り返っても、いささかも古びていない。無言であることによって、かえって百万言を費やす以上の熱量で幼い視聴者の心をつかみ取った彼の表現は、メディア史における奇跡的な達成だった。
昭和から平成へと移り変わる激動期、できるかな のっぽ さんが提示した「大人が本気で失敗し、工夫し、歓喜するプロセス」は、整然とした教育論に風穴を開けた。2022年末に88歳で天に召された俳優・作家の高見のっぽ(本名・高見嘉明)さん。彼がカメラの前で貫き通した流儀と、そこに隠された深遠な哲学は、デジタルコンテンツが溢れかえる今だからこそ、痛烈な輝きを放ち直している。
最終回で明かされた肉声の真実と「沈黙を破った瞬間」の制作秘話
1990年3月6日。その瞬間、テレビの前にいた日本中の子どもと大人が息を呑んだ。20年以上にわたって沈黙を守り続けてきた長身の紳士が、ふいに口を開いたのだ。「あーあ、しゃべっちゃった」。温かく、どこか照れくさそうな、深みのある低音だった。
この歴史的な演出は、単なる視聴者へのサプライズではなかった。関係者への取材によれば、番組の幕引きにあたって「最後くらいは自分の本当の声で、これまで見守ってくれた子どもたちへ直接感謝を伝えたい」という高見さん自身の強い意志が働いていたという。NHK教育テレビジョンのスタジオでは、スタッフ全員が固唾を呑んでその一言を見守り、収録後は惜しみない拍手がスタジオの隅々まで響き渡った。
沈黙を20年続けた理由について、高見さんは生前、こう語っていた。大人が上から目線で言葉を投げかければ、それはたちまち「命令」や「教え」になってしまう。言葉を捨て、身体表現だけで試行錯誤する姿を見せることで、子どもたちを同じ目線の「表現者」として歓迎したかったのだ。最終回の肉声は、長年続いた無言の対話が完結した、極めて誠実な幕切れだった。
相棒ゴン太くんと紡いだ奇跡!つかせのりこの声が吹き込んだ命
ノッポさんを語るうえで、食いしん坊で愛嬌たっぷりの相棒・ゴン太くんの存在を欠くことはできない。茶色い毛むくじゃらの体に、つぶらな瞳。「クゴクゴ」と鼻を鳴らす独特の鳴き声は、言葉を持たないはずの人形に確固たる魂を吹き込んでいた。
その声を担当し、同時に軽妙なナレーションで番組のリズムを完璧に刻み続けたのが、声優のつかせのりこさんだ。彼女の語りは、ノッポさんの無言のパントマイムと完璧に呼吸を合わせていた。段ボールに穴を開ける時の緊張感、テープがうまく貼れない時のもどかしさ、そして完成した瞬間の爆発的な喜び。つかせさんの声は、画面の向こう側にいる子どもの感情そのものを代弁していた。
つかせさんが病に倒れ、早世した際も、番組はその精神を保ち続けた。ノッポさんとゴン太くん、そしてナレーションの三位一体が生み出したテンポ感は、単なる教育テレビ番組の枠組みを完全に突破し、上質な二人芝居の領域に達していたのだ。
台本なき即興劇が生んだリアリティと高見のっぽの表現哲学
『できるかな』の現場には、予定調和という言葉が存在しなかった。ハサミが紙に引っかかる。ボンドがすぐに乾かず、貼り付けたはずの筒が剥がれ落ちる。普通のスタジオ収録ならNGとしてカットされるようなハプニングを、番組はあえてそのまま放送した。
ノッポさんは失敗すると、額に手を当てて大げさに困ったポーズを取り、カメラに向かってウインクしてみせた。テレビ放送業界が洗練された完璧さを求め始めていた当時、この「生々しい試行錯誤」は異例の演出だった。工作とは、思い通りにいかない素材との対話である――その本質を、高見さんは身をもって証明していた。
「工作は上手にできなくていい。壊れたっていいんだよ」。高見さんが生涯を通じて訴え続けたのは、手先の器用さではなく、自分の頭で考え、手を動かす行為そのものの尊さだった。子どもを「未熟な存在」として扱うことを病的なまでに嫌い、常に「ちいさな人たち」と敬称をつけて呼んだ彼のプライドが、画面の端々から滲み出ていた。
『ノッポさんの工作塾』へ継承されたDIY精神と工作・DIY番組の潮流
『できるかな』の放送終了後も、高見さんの情熱が潰えることはなかった。後年展開された『ノッポさんの工作塾』をはじめとする数々の試みでは、彼自らが子どもたちと直接触れ合い、身の回りにある日用品から驚くべき玩具を作り出す魔法を披露し続けた。
身近な空き箱、トイレットペーパーの芯、輪ゴム。高価な材料など一つも使わない。ゴミとして捨てられるはずの廃材に新たな命を吹き込むその姿勢は、昨今の工作・DIY番組やサステナビリティの概念の原点とも言える。ノッポさんがハサミを入れる時、ただのボール紙は城になり、ロケットになり、走り回る動物になった。
今やインターネット上には無数のDIY動画が溢れている。倍速再生でサクサクと完成形を見せるショート動画の時代にあって、じっくりと糊の乾きを待ち、切断面の不揃いさを楽しむノッポさんの作法は、忘れ去られがちな「モノづくりの手触り」を思い出させてくれる。
NHKプラスや配信で再燃する熱狂!アーカイブが繋ぐ世代の架け橋
現代の映像インフラは、この偉大な遺産を埋もれさせない。NHKエンタープライズによる丁寧なアーカイブ化作業を経て、往年のエピソードはNHKオンデマンドや、特集番組を通じたNHKプラスでの同時・見逃し配信によって、新しい世代の目に触れる機会を得ている。
驚くべきは、当時の放送をリアルタイムで観ていない幼い子どもたちが、タブレット端末の前でノッポさんの仕草に夢中になっているという事実だ。セリフがないという特徴は、言語の壁を越えるだけでなく、時代の壁すら軽々と飛び越える。親世代は懐かしさに涙し、その隣で子どもはノッポさんのパントマイムに大笑いする。世代間の垣根を融解させるコンテンツの力強さが、そこにある。
膨大なデジタルライブラリの中でも、『できるかな』が放つ素朴な温もりは異彩を放っている。解像度が上がった最新のディスプレイに映し出される、どこか粗いフィルムの粒子と温かいスタジオ照明。それは、作り手の体温が直に伝わってくる贅沢な時間そのものだ。
子どもを対等な一個人と見なす眼差しが遺した現代へのメッセージ
高見のっぽという男が生涯をかけて子どもたちに手渡そうとしたもの。それは、単に画用紙を丸めておもちゃを作る技術ではなかった。「自分の世界は、自分の手で作り変えることができる」という、人間としての絶対的な誇りである。
どんなに便利な道具や知能が社会を覆い尽くそうとも、自らの指先を使って何かを形づくる喜びの根源は変わらない。失敗して首をかしげ、ひらめいて目を輝かせ、出来上がったモノを抱きしめて跳びはねる。ノッポさんが画面の向こうで見せてくれた一連のダンスは、人間が人間らしく生きるための最も根源的なレッスンだった。
チューリップハットのつばを指でつまみ、茶目っ気たっぷりに笑って手を振るあのシルエット。彼が言葉の代わりに残していった無言のメッセージは、今も私たちの指先に、ハサミを握る小さな勇気として宿り続けている。 (出典: できるかな のっぽ さん(Yahoo!ニュース))