ベトちゃんドクちゃんの現在|分離手術から38年、兄の死と家族の絆
1980年代後半、下半身がつながった結合双生児として誕生し、世界中の注目と祈りを集めた「ベトちゃんドクちゃん」。平和と医療の象徴として日本でも広く知られるふたりですが、歴史的な分離手術の成功から年月が経過した今、彼らの足跡や現在の暮らしはどうなっているのでしょうか。
ベトナム戦争の爪痕である枯葉剤被害の過酷な現実に直面しながらも、力強く命を紡いできたグエン・ドクさん。2026年を迎えた現在、兄ベトさんの旅立ちという深い悲しみを乗り越え、ドクさんは父親として、そして平和を伝える語り部として確かな歩みを続けています。ふたりが歩んだ激動の半生と家族のいま、そして日本との色あせない絆を追いました。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:1988年の分離手術から38年、ドクさんは45歳を迎え、家族とともにホーチミンで充実した日々を送っている。
- 要点2:兄ベトさんは2007年に26歳で逝去。ドクさんは愛妻と結婚し、日本にちなんだ名を持つ双子の子どもの父親となった。
- 要点3:ツーズー病院での勤務や平和活動、日本との交流をライフワークとし、自らの命を通して平和の尊さを世界へ発信し続けている。
【奇跡の分離手術から38年】ベトちゃんドクちゃんの生い立ちと枯葉剤の影響
兄のグエン・ベトさんと弟のグエン・ドクさんは、1981年2月25日、ベトナム中部のコントゥム省で誕生しました。ふたりは骨盤や下肢、消化器、泌尿器系の一部を共有する「イソパガス(結合双生児)」という極めて稀な状態で生まれ、その姿は世界中に大きな衝撃を与えました。
この重い障がいの背景にあると強く指摘されているのが、ベトナム戦争時に米軍が散布した枯葉剤(ダイオキシン類)の影響です。ふたりの両親が暮らしていた地域は激しい枯葉剤散布が行われた激戦地であり、戦争終結から数年が経過してもなお、次世代の命に深刻な影を落としている事実を国際社会へ突きつけることになりました。
ふたりの生命を守るため、ベトナム南部ホーチミン市にあるツーズー病院へ移送された兄弟は、医師や看護師たちの手厚いケアを受けて育ちます。しかし1985年、兄のベトさんが急性脳症を発症して重体となり、意識不明の寝たきり状態に陥ってしまいます。このままではドクさんの命まで危険にさらされるという極限の状況下で、医療陣はふたりを切り離す「分離手術」の決断を迫られました。
そして1988年10月4日、ツーズー病院において、ベトナム国内のトップ医師陣をはじめ、日本から駆けつけた医療支援チームら総勢約70名が参加する前代未聞の大手術が決行されました。実に17時間に及ぶ極限のオペは無事に成功。当時としては世界的に前例のない奇跡の分離手術として、世界中のメディアでトップニュースとして報じられました。
【兄ベトさんの最期と死因】26歳で旅立った兄への想いと残された絆
分離手術によってそれぞれ別の身体として生きる道を歩み始めたふたりでしたが、兄のベトさんの容態は決して平坦なものではありませんでした。脳症の後遺症による重い意識障がいが続き、生涯のほとんどをベッドの上で過ごすこととなります。
ドクさんは成長するにつれ、自身の片脚で歩行器や義足を使いながら学校へ通い、自立への道を模索する一方で、常に同じ病棟で療養を続ける兄ベトさんのもとへ通い、寄り添い続けました。しかし、ベトさんの体は年々衰弱していき、腎不全や肺炎などの合併症を併発するようになります。
そして分離手術から19年が経った2007年10月6日未明、ベトさんは腎不全と急性呼吸不全のため、26歳の若さで静かに息を引き取りました。半身を分かち合い、過酷な運命をともに乗り越えてきた最愛の兄の死因と最期について、ドクさんは深い悲痛を滲ませながらも「兄がいたからこそ今の自分がいる。兄の分まで精一杯生き抜くことが私の使命」と語り、兄の魂を胸に前を向くことを誓いました。
【ドクさんの現在と家族】愛妻との結婚、双子の子どもに授けた「日本名」の由来
兄との別れを経験したドクさんですが、私生活では大きな愛に恵まれ、温かな家庭を築いています。2006年、ボランティア活動などを通じて知り合ったベトナム人女性のグエン・ティ・タイン・トゥエンさんと結婚。当時は「枯葉剤の後遺症を持つドクさんが結婚できるのか」「子どもを授かることができるのか」といった世間の懸念もありましたが、ふたりは互いへの深い信頼でそれを乗り越えました。
結婚から3年後の2009年、夫妻の間に待望の赤ちゃんが誕生します。しかも生まれたのは、奇しくも自身と同じ「男女の双子」でした。男の子は「グエン・フー・シー」、女の子は「グエン・アイン・ダオ」と命名されましたが、この名前には日本への格別の想いが込められています。
「フー・シー」は日本の象徴である富士山(フジサン)から、「アイン・ダオ」はベトナム語で桜(サクラ)を意味します。自身を救い、支え続けてくれた日本への深い感謝と敬意を、ドクさんは我が子の名前に刻んだのです。子どもたちは元気にすくすくと成長し、家庭内は常に笑顔と活気に満ちあふれています。
【現在の職業と活動】ツーズー病院勤務から平和の語り部、大学客員教授へ
2026年現在、45歳を迎えたドクさんは多方面で精力的に活動しています。育ての親ともいえるツーズー病院の事務職員として長年勤務し、コンピューター管理や医療記録の整理などを担当してきました。
また、ドクさんは自らの知名度と経験を社会へ還元するため、障がい児支援のための基金「ドク・ファンデーション」を設立。さらに広島大学の客員教授や平和親善大使を務めるなど、ベトナム戦争の被害の実態と平和の尊さを次世代へ伝えるオピニオンリーダーとして国際的な役割を担っています。
義足を使用しているため腰や関節の痛みを抱え、定期的な健康管理が必要な状態ではあるものの、日本をはじめとする世界各地での講演活動を継続。「障がいがあっても諦めずに挑戦すること」「戦争の悲劇を二度と繰り返さないこと」を訴えかける彼の言葉は、今も多くの人々の心を揺さぶり続けています。
【日本との深い絆】赤十字の医療支援から始まった日越の温かい支援の歴史
ベトちゃんドクちゃんの存在は、日本とベトナムの民間交流・医療協力の歴史において極めて象徴的な架け橋となってきました。ふたりの過酷な境遇が日本国内で大々的に報じられると、全国各地で大規模な募金活動が自然発生的に巻き起こりました。
1980年代半ばには、日本赤十字社を中心に医師や看護師が派遣され、現地の医療環境の整備や高度な医療機器の寄贈が行われました。1986年には重症化したベトさんを救うため、東京の病院へ緊急搬送して集中治療を行った経緯もあります。1988年の歴史的分離手術に際しても、日本の医療陣が現地へ飛び、手術器具の提供や技術的助言を行うなど、日越の固い連携が奇跡の手術を支えました。
現在に至るまで、ドクさんは数十回にわたり来日を果たしており、東日本大震災や能登半島地震などの災害時には、被災地へ温かい応援メッセージや支援を寄せています。「日本は私にとって第二の故郷であり、命の恩人」と公言するドクさんと日本国民との心の通い合いは、半世紀近い年月を経てもなお色あせることなく息づいています。
【ドク ちゃん ベト ちゃん】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ベトちゃんドクちゃんは2026年現在何歳ですか?
A1:1981年2月25日生まれのため、ドクさんは45歳を迎えました。兄のベトさんは2007年に26歳で逝去しています。
Q2:ドクさんの子どもたちや家族構成は?
A2:2006年に妻のトゥエンさんと結婚し、2009年に男女の双子が誕生しました。男の子には富士山から取った「フーシーくん」、女の子には桜を意味する「サクラちゃん(アイン・ダオ)」という日本由来の愛称がつけられ、ホーチミン市内で仲良く暮らしています。
Q3:なぜふたりは結合双生児として生まれたのですか?
A3:ベトナム戦争中に米軍が散布した枯葉剤に含まれる有害物質(ダイオキシン類)の影響による先天性障がいである可能性が極めて高いとされています。両親が散布地域に住んでいたことから、戦争の悲惨な爪痕として国際的な注目を集めました。
まとめ:過酷な運命を乗り越え、未来へ命のバトンをつなぐドクさんの歩み
ベトナム戦争の悲劇と医療の奇跡の象徴として世界に見守られてきたベトちゃんドクちゃん。兄ベトさんとの早すぎる別れや、自身の身体に残る後遺症と闘いながらも、ドクさんは自らの足で人生を切り拓き、温かい家庭と確固たる社会的使命を築き上げました。
子どもたちへ受け継がれた命のバトン、そして日本との深い友好関係は、戦争の暗い影を乗り越えた先にある希望の光そのものです。平和のメッセンジャーとして今を生きるグエン・ドクさんのこれからの歩みに、今後も温かい関心と敬意が注がれています。 (出典: ドク ちゃん ベト ちゃん(Yahoo!ニュース))