クール・ファイブ歴代メンバーの現在と波乱の軌跡|脱退・他界の真相
昭和歌謡の黄金期を語るうえで外せないのが、ムード歌謡の頂点に君臨した「内山田洋とクール・ファイブ」です。圧倒的な歌唱力を誇る前川清のメインボーカルと、重厚なコーラスワーク、そして卓越したバンド演奏は、日本の音楽シーンに不滅の足跡を刻みました。
デビューから半世紀以上が経過した今、メンバーの脱退劇やリーダーの逝去、そして残されたメンバーたちの足跡について関心を持つファンが増えています。激動の時代を駆け抜けた各メンバーの現在と、グループの波乱に満ちた歴史を追いました。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:オリジナルメンバーのうち、リーダーの内山田洋、小林正樹、森本繁、岩憲が他界し、現在は前川清と宮本悦朗が健在。
- 要点2:1987年の前川清脱退は「自身の音楽的自立」が契機であり、確執ではなく更なる挑戦のための円満な独立だった。
- 要点3:2006年の内山田洋の急逝を機に「前川清&クール・ファイブ」として再集結し、絆を取り戻したドラマは今なお語り継がれている。
【一覧】内山田洋とクール・ファイブの主要メンバーと現在の状況
「内山田洋とクール・ファイブ」は、1967年に長崎のグランドキャバレー「銀嶺」の専属バンドとして結成されました。全盛期を支えた6人のメンバーのプロフィールと現在の状況を整理します。
1. 前川清(メインボーカル)
1948年8月19日生まれ、長崎県出身。グループの「顔」として数々のヒット曲を牽引しました。1987年の脱退後もソロ歌手、司会者、タレントとして第一線で活躍を続けており、息子の紘毅、娘の侑那とともに音楽活動を展開するなど、精力的な活動を継続しています。
2. 内山田洋(リーダー、ギター、コーラス)
1936年6月2日生まれ、福岡県出身。グループの創設者であり、卓越したアレンジ能力とリーダーシップでバンドをまとめ上げました。2006年11月3日、肺がんのため70歳で逝去。グループの精神的支柱でした。
3. 宮本悦朗(ピアノ、キーボード、コーラス)
1948年1月15日生まれ、長崎県出身。愛嬌のあるキャラクターと「ハゲネタ」でバラエティ番組でも親しまれました。グループ活動休止後は、実業家や講演活動、福祉関連のチャリティイベント出演など、多方面で健在ぶりを示しています。
4. 小林正樹(ベース、コーラス)
1943年11月17日生まれ、長崎県出身。渋い低音コーラスと安定したベースラインでサウンドの土台を支えました。2020年11月25日、老衰のため77歳で逝去しました。
5. 岩憲(サックス、フルート、コーラス)
1948年生まれ、長崎県出身。華麗なサックスソロで楽曲に艶やかな彩りを添えた名プレイヤーです。晩年は病気療養を続けていましたが、惜しまれつつ他界しています。
6. 森本繁(ドラムス、コーラス)
1942年10月23日生まれ、長崎県出身。リズムセクションを力強く支え、独特の高音コーラスでも存在感を発揮しました。2023年10月に81歳で逝去し、多くの歌謡ファンが哀悼の意を捧げました。
前川清の脱退理由とは?独立の真相とグループ崩壊の危機を追う
グループにとって最大の転機となったのが、1987年のメインボーカル・前川清の脱退でした。デビュー以来、シングル曲のほぼすべてでリードを務めていた前川の離脱は、世間に大きな衝撃を与えました。
当時、一部メディアでは「メンバー間の不仲」や「ギャラの配分を巡る対立」といった憶測が飛び交いました。しかし、脱退の真相は「歌手・前川清としての自立と、音楽的限界の打破」にありました。約20年間にわたりグループの看板を背負い続けた前川は、決められた型にとどまらず、一人のソロシンガーとして自身の可能性を試したいという強い意志を抱くようになっていたのです。
リーダーの内山田洋をはじめとするメンバーも、前川の決意を最終的には尊重し、契約満了に伴う円満な独立という形で送り出しました。しかし、絶対的エースを失ったクール・ファイブはボーカルの交代などを経て活動を模索するものの、かつてのような爆発的なヒットには恵まれず、次第にグループとしての活動は縮小していきました。
リーダー内山田洋の早すぎる別れとメンバーの物故者情報
2000年代以降、クール・ファイブを襲ったのはメンバーたちの高齢化と相次ぐ訃報でした。なかでも最も大きな打撃となったのが、リーダー・内山田洋の急逝です。
内山田は2006年に入ってから体調を崩し、肺がんの診断を受けて闘病生活に入りました。前川清をはじめとするメンバーたちが見守るなか、同年11月に70歳でこの世を去りました。グループの生みの親であり、独自のコーラスアレンジを構築した名匠の死は、歌謡界全体に深い悲しみをもたらしました。
その後も、低音を支えたベースの小林正樹が2020年に他界。さらに、華やかな演奏で魅了した岩憲、屋台骨を支え続けたドラムの森本繁が2023年に旅立ちました。昭和の歌番組を彩ったオリジナルメンバー6人のうち、4人が鬼籍に入っており、時代の移り変わりを痛感させられます。
『長崎は今日も雨だった』『東京砂漠』不滅の代表曲が生まれた背景
内山田洋とクール・ファイブが残した楽曲は、今なお色褪せない輝きを放っています。彼らを一躍スターダムに押し上げた代表曲の背景には、卓越したプロデュースワークがありました。
■『長崎は今日も雨だった』(1969年)
メジャーデビュー曲にして、いきなりミリオンセラーを記録した不朽の名作です。作詞・永田貴子、作曲・彩木雅夫による哀愁漂うメロディに、前川清の独特の節回しと、メンバーによる「ア〜ア〜」という重厚なバックコーラスが見事に融合。第11回日本レコード大賞新人賞を受賞し、彼らの名を全国に轟かせました。
■『そして、神戸』(1972年)
作詞・阿久悠、作曲・浜圭介のコンビが手掛けたご当地ソングの傑作です。前川の絶唱ともいえるドラマチックなボーカルと、内山田の計算し尽くされたコーラスアレンジが絶賛され、日本歌謡大賞を受賞しました。
■『東京砂漠』(1976年)
大都会に生きる人々の孤独と希望を歌い上げた名曲です。ダイドードリンコのCMソングとしても長年親しまれ、ムード歌謡の枠を超えたJ-POPの先駆け的ナンバーとして、若い世代にも広く認知されています。
恩讐を越えた「前川清&クール・ファイブ」奇跡の再結成経緯
前川清の脱退以降、メンバー間の交流は一時的に途絶えていましたが、奇跡の再結成へと導いたのはリーダー・内山田洋の死でした。
2006年、内山田の葬儀に駆けつけた前川は、残されたメンバーたちと久しぶりの再会を果たしました。悲しみのなかで「リーダーが遺したクール・ファイブの音楽を風化させてはならない」という思いが一致。同年、前川が手を差し伸べる形で「前川清&クール・ファイブ」としての再結成が実現しました。
同年末の『第57回NHK紅白歌合戦』には、亡き内山田の写真を胸にステージへ立ち、『長崎は今日も雨だった』を熱唱。生前の確執や時間の隔たりを完全に乗り越えたメンバーたちの絆は、多くの視聴者の涙を誘いました。その後も特別番組やジョイントコンサートで定期的に集結し、ファンに元気な姿を届け続けました。
【クール・ファイブの歴代メンバー】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:現在、存命のオリジナルメンバーは誰ですか?
A1:メインボーカルの前川清と、ピアノ・キーボード担当の宮本悦朗の2名です。内山田洋、小林正樹、岩憲、森本繁の4名はすでに他界されています。
Q2:前川清とメンバーは不仲で解散したのですか?
A2:不仲による解散ではありません。前川清がソロ歌手として独立するために1987年に脱退しましたが、関係性は良好であり、2006年のリーダー内山田洋の逝去後は「前川清&クール・ファイブ」として再結成を果たしました。
Q3:宮本悦朗さんは現在どのような活動をしていますか?
A3:音楽活動のほか、実業家や講演活動、チャリティイベントへの参加など多岐にわたる分野で元気に活動を続けています。
まとめ:昭和歌謡の金字塔として受け継がれるコーラスワークの魂
「内山田洋とクール・ファイブ」は、単なる歌謡グループの枠に収まらず、日本のポピュラー音楽史に独自のコーラススタイルを確立したパイオニアでした。メンバーの多くが旅立った現在も、彼らが遺した名曲の数々は色褪せることなく歌い継がれています。
前川清をはじめとするメンバーが紡いだ絆と魂のサウンドは、これからも世代を超えて日本人の心に響き続けるはずです。 (出典: クール ファイブ メンバー(Yahoo!ニュース))